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オーストラリア・ワインの今。 後編: Victoria(ヴィクトリア)


 オーストラリアは涼しいワイン産地だ、なんて一昔前は誰が信じただろうか?

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    Victroria州都、Melbourne。椰子の樹が茂り、ビジネスビルが並ぶ、エキゾチックな街。南半球の Londonといった風情だ。

 南の島の、砂漠が多くて、象徴的なものが、Great Barrier Reef(グレート・バリア・リーフ)かAyers Rock(エアーズロック)であるならば、オーストラリアというのは暑いと思われても仕方ない。輸出されるものが、あんなにアルコリックでエキゾチック・フルーツ香たっぷりのワインばかりで、そのようなワインを飲んでいれば、そうなんだと錯覚してしまうのも尤もだ。しかし、誇張されたイメージは、現実を見誤らせかねない。
 それは、あたかも、石灰質が80%近く覆うフランスでは、石灰の少ない場所の方がミネラルウォーターとして珍重されるということに、もしくは、涼しい産地だからこそ、最大限の陽光の得る事で、糖分の高い甘口ワインを作るドイツの例に似ている。即ち、一般的なイメージの逆の発想が必要な場合があるのだ。

 そう、オーストラリアには涼しい地方もある。
 Barossa Valleyに比べ、Eden Valleyや Clare Valleyは遥かに涼しい。もしくはもっと東の方に目を向ければ良い。Victoria州には比較的、冷涼な場所が多い。フィロキセラ禍以降、数十年にわたって見過ごされて来た地方だが、歴史自体を見ればはるかに古い。そして近年では、この地において、相応しい葡萄品種を植えたワインへ再注目されている。Pinot Noir, Chardonnayやさらにイタリアの品種、ドイツ、オーストリアの品種などなど。冷涼地に相応しい葡萄品種が、この地方では盛んになってきた。
 
 

Victoria
ーゴールドラッシュとフィロキセラ、そして再興ー


 1851年に端を発するオーストラリアのゴールドラッシュは、Victoria(ヴィクトリア)州のBarallat(バララット)、Bendigo(ベンディゴ)、Beechworth(ビーチワース)の周辺で発生し、多くの移民が Victoria州に殺到した。当時の世界の3分の1の金を産出していたというこの州では、1851年には7万7千人だった人口が、1861年には54万人と激増した。人口増加とともに、インフラ整備、都市化、農地の拡大が進み、その過程において、葡萄栽培地も拡大した。Victoria州は、英国向けのワイン産地として興隆して、John Bull’s Vineyard(英国民の葡萄畑)と言う名で、ヨーロッパでも知られるようになった。しかしながら、その栄光は長続きしなかった。1875年の Geelong(ジーロング)でフィロキセラが発見されるや否や、状況は一変する。South Australia州に対抗して Victoria州では補助金を出してまで葡萄生産地拡大を押し進めていたことが災いして、フィロキセラ被害は、同地方中部・北部にまで伝染してしまう。1901年にオーストラリア連邦が設立されると、それまで州間にかけられていた関税が廃止され、Victoria州のワイン産業に一層の打撃を与えた。当初一番有望とみられ、オーストラリアのワイン生産の50%をしめていたVictoria州のワインはこうして凋落してしまった。Grampiansなどのごく限られた産地を除く、ほとんどのワイン産地は史上、姿を消す事になる。

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Yarra Valley。Victoria州きっての銘醸地。

 接ぎ木という方法はあったとしても、一度荒廃した畑はそうそうには戻ることはなかった。唯一フィロキセラを逃れたGrampians(グランピアン)は標高高く、涼しいが、夏の降雨量が低く、灌漑が必要な場所で、ワイン造りは細々と続けられるのみだった。もともと、Barossa Valleyに本拠地を置くSeppeltは、1960年代にこの地のワイナリーを買い取り、金工堀りが残した数kmにも及ぶ地下トンネルを利用してスパークリングワインを生み出した。同じく'60年代、Pyrenees(ピラニー)地区では、フランスのRemy Martin社は大幅な投資を行い、近代的なワイナリーのChâteau Remyが設立され、ブランデーの生産を始めた。後に、ブランデーの消費が落ち込むとともにワインの生産に移行。1963年、Wantirna Estate は、かつての栄えた産地、Yarra Valleyに再び葡萄を植え、荒廃していた銘醸地を復活させた(DeBortoliとSt Huberts、Domaine Chandonがこれに続く)。こうして次第にではあるが、Victoriaでもワイン生産が始まった。続く1980年代には、より冷涼なワイン生産地を探求するトレンドの変化により、この地方への関心が高まりだした。Tasmania(タスマニア)島や, Adelaide Hills(アデレード・ヒルズ), Great Southern(グレート・サザン)…などの産地がワイン用の場所として模索されると同時に、Victoria州の Mornington Peninsula(モーニントン・ペニンシュラ)、Macedon Ranges(マセドン・レンジズ)などでもワイン生産が再開される。このような土地では、他のオーストラリア産地には適されないとされた品種(Pinot Noir, Sauvignon Blanc, Chardonnayなど)が主に植えられるようになるのである。

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Yarra Valleyの畑。すべからく、アメリカ台木が植えられている。フィロキセラは、Geelongで発見されて以降、1899年までになると、州最北端の生産地、Ratherglen(ラザーグレン)で発見され、1906年には Victoria州のワイン産業は壊滅した。生き残ったワイナリーは Campbells Wines,Chambers,Morris, Tahbilk Winesなど少数にとどまった。だからこれらの Yarra Valleyの樹々は'70年代以降に植えられたものである。



Macedon Ranges ー森開く開拓者たちー



Curly Flat -Phillip Moraghan-


「Macedon Rangeは、Ballaratと並んで、オーストラリアで最も寒いワイン産地。Melbourneより常に5度は気温が下がる場所である」
Phillip Moraghan(フィリップ・モラハン)はそう力説する。

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カーヴ

 銀行員だった彼は、ワイン造りを行いたいとかねてより望んでいた。そして仕事を辞め、ワインを作り始めるに当たって、Victoria中から理想の場所を探した。そして彼がたどり着いた場所が、ここ Macedon rangesであった。Macedon rangesはMelbourneの北、約90キロの場所で、標高は約500mである。事実、世界中のワイン生産地の適正を客観的に測定した Winkler法からみると、 Macedon Rangesの 1月平均気温数値、MJT(注:1)は、17.2°Cから18.5°Cとかなり低く、さらに葡萄成長期平均気温概算 HDD(注:2) においては、970-1050である。この指標においては世界中の葡萄栽培可能地としては最も冷涼で、限界ギリギリとされる場所である。Tasmania (MJT 16.8, HDD 1013)、Yarra Valley (MJT 17.9-19.4, HDD 1250-1352)、Adelaide Hills (MJT 19.1, HDD 1270)、Coonawarra (MJT 19.6, HDD 1430)、Barossa Valley (MJT 21.4, HDD 1710)、よりも低く、さらに、Rheingau (MJT 18.6, HDD 1042)、Champagne (MJT 18.9, HDD 1031)、Bourgogne (MJT 19.7, HDD 1164)、Bordeaux (MJT 20.3, HDD 1392)、と比べてもかなり低い場所だというのがわかる。

(注:1)Mean January(or July) Temperature (MJT)
 葡萄成長サイクルにおいて最も気温の高くなる、1月(南半球)と7月(北半球)の平均気温を示す数字。
(注:2)Heat degree days (HDD)
 葡萄成長サイクルの最も重要な10月から4月(南半球の場合、北半球は4月から10月)の214日間の平均気温が50°F(10°C)を上回った日の平均気温から求められる気温の数値。1944年に、California大学Davis校の Albert Julius Winkler教授と Maynard Andrew Amerine教授によって発表された Winkler Scaleにおいて示された気候の積算温度基準。この基準値をもとに、世界中の葡萄品種の適する場所を測定された。


 すぐさま北には Heathcote(ヒースコート)というもっと歴史のある産地があるが、そこは太陽の照る北向き斜面の Shirazに相応しい場所。彼が作りたかった葡萄品種は、あくまでもPinot Noirであった。スイスに住んでいた時に、Bourgogneワインに取り憑かれ、人生をもう一度やりなおしても作りたいと思ったワインが、Pinot Noirだったためだ。この地に落ち着いたのが1991年、当初は色々な問題もあったが、彼はPinot Noirを植えることに成功した。現在でも全体の69%がこの品種で、その他はChardonnayとPinot Grisという、まさにBourgogneしか意識していない植樹だ。

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畑で興味深いのが、リラ剪定を多く採用していること。まんべんなく日射量を増やすことと、風当たりを良くして病害を減らす目的である。Bourgogneでこの剪定を採用しているのは、Auxey-Duresseの一部の生産者のみ


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土壌は、赤バサルト岩を含む火山性の土。6年前から除草剤の使用を禁止して、ますます、有機的アプローチを模索。しかし、灌漑は必要に応じて行う。


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Curly Flatのワイン。

清潔感の行き届いたカーヴ。Bourgogne産のオークがたくさん並ぶ中、非常に近代的なワイナリーという印象。今回の訪問は駆け足であったために、多くは試飲できなかったが、何種類か、特徴的なワインを飲んだ。

Chardonnay ’11は、カリフォルニア的なスタイル。樽香が強く、リッチで、濃厚、重圧的。MLFはヴィンテージごとに決定するというが、これはMLFを行ったものだろう。酸の高さよりも、力強さを感じる。なお、2005年より自然酵母で発酵とのこと。

Pinot Noir ’11は、鮮やかなルビー。まさにPinot Noir。小梅、採れたての生の赤果実のジューシーなアロマ。味わいは優しく、ストイック。スパイスを伴う樽香と、口後に残るジャミーさが、オーストラリアさをとどめる。除梗の度合いは毎年変わるが、結構除梗している印象。あくまでもクリーンなのだ、その味わいが。2003年より自然酵母で発酵させることで、アルコールと揮発酸度、pHが下がるようになったという。


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Phillip Moraghan。彼の立っているオフィスの木の扉は、以前働いていた銀行の扉をそっくりそのまま持って来たのだという。パートナーのりかさんは日本人で、来日する機会も多い。だから最近は「甲州」品種に興味津々で、植樹する予定もあるとか。



 ワインが生まれる背景には、色々な動因(=原因となる動機)が考えられる。祭祀を目的としたワイン造りといった宗教的な動因、土地柄の食生活という風土的な動因、国際的な要求に応じた需要の動因…。
 さて、このCurly Flatというワイナリーが生まれた動因は、Phillip Moraghanという人物に焦点を当てなければならない。彼自身の嗜好が、このワイナリーを、ひいてはワイン生産地を生んだ節があるからだ。Bourgogneワインに魅せられた彼が作りたかったもの。Pinot Noirという品種の持つ魔力的な味わい。人を虜にする、眩い果実。優しい味わいのタッチ。だから、彼は理想の地を探した。彼の故郷、オーストラリアにおいても、Pinot Noir らしい味わいを表現できる場所を。
 もちろん、Bourgogneと同じ土壌でも、気候でもないために、全く同じワインが出来ることはない。しかしながら新たなる地で開花した Pinot Noirの表現は、またひと味違った彩りを添えて、ここオーストラリアで花開くわけである。



Cobaw Ridge -Alan Cooper-


 Lagrein(ラグレイン)という品種がある。
 北イタリアのAlto Adige / Südtirol(アルト・アディジェ/シュッドチロル)地方の地場品種で、濃い色調と、気品のある香りのする赤ワイン用葡萄。濃密な果実、深いフレーヴァー、味わいの伸び。冷涼な気候に適したこの品種の味わい…。北イタリアでしか見ないこの珍しい品種を使ったワインが、このオーストラリアにもあった。

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まるで Bretagneのケルト人の住処を思い起こさせる地層。そう、ここはArmorica山脈と同じ、花崗岩の大地である。

 そもそもの始まりは、1988年に遡る。
 Merbourne大学Burnley校の Peter May(ピーター・メイ)教授は、Kynetonにある自家畑に、ワイン用葡萄を植えてみようと思い立った。もともとこの地では Cabernet Sauvignonが多く植えられていたが、もっと冷涼な天候に適した品種は Merlotだと考え、それを植えてみた。しかしながら、当時の苗木職人のミスで、実はそれがその地に適していないCabernet Francであることがわかった。それならば、また別の品種を試そうとしてみて、選んだのが Lagreinなのであった。Lagreinを選んだ理由は、同校のRichard Smart(リチャード・スマート)教授とPeter Dry(ピーター・ドライ)教授による1980年代の調査報告の影響が大きかったという。そして、1991年に始めて収穫して作られたワインはとても美味しく、彼はその結果に満足した。ただし、これは自家用葡萄という範疇の内であり、それが商業用となるには、ある男の登場を待たなければならなかった。

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花崗岩、砂質土壌。標高610mの北向き斜面。100%自社畑で、植樹密度は、1.2m x 1m。台木なしの自根のみ。2011年よりビオディナミ農法採用。手摘み、手作業、手仕事。ドリップイリゲーションも行うが必要に応じて、最小限。

 Curly Flatを発って森をさまよう。オーストラリアに来て以来、全く遭えなかった、カンガルーの群れも見られた。ウォンバットなる動物の死骸も見たが、いまだ出会えなかったコアラがその辺にいるのではないかと、林中に目をやった。Bretagneのドルメン・メンヒルに似た花崗岩の山を越え、約1時間のドライブの後、ようやくワイナリーが見えて来た。
 ワイナリーの柵をくぐると、そこには畑が広がっていた。北向き斜面の標高615m。 Lagreinの本家のAlto Adigeは標高約1000mであるが、十分に涼しそうな場所。そして石英混じりの白い花崗岩の土壌。水はけ良さそうで、どちらかというとSyrahに合いそうな土壌だと思った。逆に Pinot Noirに良いのかは疑問符がついた。ワイナリーの周りの畑は冬季だったためか、雑草がそのまま残っていた。有機的アプローチをしているのだと見てとれたし、畑は非常に綺麗で、ヨーロッパのワイナリーに似た印象を感じる風景だった。そんな畑の真ん中に、森の中の丸太小屋のようなワイナリーが見えて来た。
 アポなしでやってきたのだが、Alain Cooper(アラン・クーパー)は我々を快く迎え入れてくれた。ニコニコと朗らかな人だ。基本的に従業員はいなくて、妻と二人でワイナリーを切り盛りしているそうなので、我々のような飛び入りでも、受け入れたことに、大変感謝した(いままで手伝っていた息子の Joshuaは2012年から独自にネゴシアン業を始めて独立)。テイスティングルームはこじんまりとはしているが、とても整頓されていて、必要最低限、きっちりとまとまっている。壁を見ると、森を切り開いてワイナリーを作った時代の写真が飾られていた。

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Alan Cooper。ワイン哲学は、「収量を抑える事。果実は丁寧に扱い、除梗する。メンブレンプレス(空気圧プレス)使用することで、きついタンニンを出さず、パンチングダウンも手製、優しく最大限の色調とフレーヴァーを出すこと」

 Alan Cooperはもともと銀行員だった。しかしながら、ワイン造りを志すようなり、1982年に花崗岩のゴテゴテした森を切り開いて葡萄を植樹した(...どこかで聞いた話ではあるが、昨今のオーストラリアでは、脱サラしてのワイナリー起業は日常茶飯事である)。1985年に妻 Nelly(ネリー)と共にワイナリーをスタート。ファーストヴィンテージは1989年からで、計 5haの畑からワインを作るようになった。祖父、父の代までは農場をやっていた家族ではあったのだが、葡萄栽培を行ったことはなかった。まさにゼロからのスタートで、そんな造り手だからこそ、規範に囚われない柔軟な思考を持っていた。Peter Mayのワインの成功に触発されて、1997年から Lagreinを植える事にしたのもその表れであろう。

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Lagreinは古代ギリシア語の 「Lagarinthos(垂れ下がる)」を意味する言葉か、もしくは古代ギリシア時代の南イタリア植民地名「Lagaria」に由来するという。2006年の遺伝子学的研究によって、 この地方の Marzemino品種と Syrah品種の従兄弟で、そのルーツは Pinot Noirであるということがわかっている。

 さて、当の Lagreinを試飲することになった。
 Lagrein ’13は、この品種100%のもの。桑の実、ブルーベリーの強い香り。スムースで鼻から口に抜ける、心地よい香りの音符。タンニンと酸味のバランスが良い。熟成のポテンシャルを感じる。なんとも不可思議なワインである。色調濃いので、アルコリックかと思いきや、案外爽やか。酸味が高いので、冷涼気候特有のワインかと思えば、すぐさま濃いタンニンが口に残る。色々な意味で、相反した個性をもったワイン。Syrahや Pinot Noirに似ているとされるが、どちらかというと、Austria 系品種に近いものを感じる。極上のBraufränkischか、Zweigeltのような。 なかなか、後ろ髪を引かれるワインである。James Halliday(ジェームズ・アリデイ)は自著の Australian Wine Companion 2005において、2002年もののLagreinが高得点をあげ、この品種がオーストラリア中でも知られるようになった。いまでは、この品種が、オーストラリアで50haほど植えられるようになったのは、彼の成功によるのが大きい。

 だが、Lagreinだけが、このワイナリーの品種ではない。他にも粒ぞろいのワインを沢山作っている。
 Chardonnay ’13は、フローラルで、繊細、樽香のヒント。還元したキャラクターは Juraの Chardonnayに近いが、あくまでも透明感のある色調。
 赤ワインは、Pinot Noir ’13から。同じく、花の香り高く、フランボワーズ、赤果実。アタックはデリケート、軽く、柔らかい。花崗岩的なワインは、やはり軽い。100%除梗。
 上級キュヴェ、L’Altra Pinot Noir ’13は、イチゴ、カシス、ブルーベリー。全房発酵しているので、深みと複雑味、フレッシュ。とても美しい体躯。
 Syrah ’10は、ブルーベリー、野生のアイリスの花、スパイス。力強く、深い。この土壌に相応しい味わい。南フランスの Pic Saint Loup的な険しさ。
 Syrah No Surfer ’14は、新しいキュヴェ。亜硫酸添加ゼロだが、還元的熟成で、ガスが残っている。フレッシュ・ブルーベリーの香り。グビグビ飲める、軽い感じのキュヴェ。
 CVI ’08は、SyrahとLagrein品種のブレンド。比率は5:5。黒果実、とてもアロマティック。強いタンニンの強い個性。


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   小さな開放式発酵槽使用し、MLFも行う。25-30%新樽の12-24ヶ月熟成。フィルターしない。補酸しない。亜硫酸最小限。



 それぞれの土地にあった適正品種を探すこと。
 非常に困難な作業にも関わらず、世界中の葡萄産地では、そんなことあまり大したことと思われていないと感じる。ただある場所で高級なワインを生むという理由だけで、著名な品種が無造作に植えられている。例えば、Rieslingよりも、Sylvaner、もしくは、Sauvignon Blancよりも Romorantinといった品種の方が、それぞれの土地に適合しているかもしれないなんて、あまり熟慮されているように思えない。ヨーロッパでは、それぞれの場所にあった品種が、模索され、そして法律で保護されている。開花が遅いという利点があるから春霜の多い Vallée de Marneには Pinot Noirではなく Pinot Meunierが適しているという Champagneの常識や、Beaujolaisの花崗岩土壌には、Pinot Noirよりも Gamayが適しているということは、フランスでは誰でも知ってる。それが、新世界ではそういった選択をしようとする動きがあるとは言えないのだ。Cabernet Sauvignonと Chardonnay、Pinot Noir、Syrah、Riesling、もしくは、Grenache、それで打ち止め? そんな少ない優勢遺伝子学的な考えだけで、ワイン用葡萄は選ばれるのだろうか? 数百年にわたる、葡萄栽培の歴史がなせる、適正品種の選択という点においては、新世界は、旧世界に遅れをとっている。新世界のワインにしたって、もう、150年あまりのノウハウがあるのだが...(そういう意味で、日本の『甲州』という品種選択はとても意義がある)。
 このワイナリーのワインは、今の所は Pinot Noirの方が飲みやすいが、熟成に従って伸びるのを感じたのはやはり Lagreinであった。そういう意味で、Lagreinのほうが、適正な品種なんだという感想を得たのであるが、結論を下すのは、まだ時期尚早だろうか。未だ、25年の歴史しかない。あともう少しの熟成するのを待ってから、その答えを確かめたいと思った。



Henty ー新たなる可能性ー


Hochkirche -John Nagorcka-

Henty(ヘンティー)など名の知れる事もない場所にそのワイナリー、Hochkirche(ホッホキルシュ)はある。

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Tarlingtonの昔の名「Hoch」の教会があった場所

Hentyは、Victoria州の西部で、Coonawarraに近い。生産者自体が少なく、牧歌的な丘陵を駆け巡っても、葡萄畑は見当たらない。当のワイナリーにしても、畑らしい場所はなく、本当にワイン生産地なのかすら訝しい、そんな思いで、広大な敷地の入り口をくぐった。小さく、こじんまりとした佇まいをみせるセラードアがあった。当主、John Nagorcka(ジョン・ナゴルカ)が我々を迎えてくれた。髭を蓄え、優しく微笑む、彼の目は鋭く、生真面目な人となりが見える。このワイナリーは、1990年に設立したが、ワイン自体は1997年にファーストリリース(最初の頃は剪定がうまくいかず、断念していたので、7年のブランク)。全部で 7.5haの自社畑を持ってはいるが、敷地内の総面積は320haに及ぶ。だから、葡萄畑以外にも、牛と豚、そして羊を飼っている。羊毛用のメリノ種の羊はとても重要である。はじめて羊がオーストラリアに持ち込まれて以降、この地は世界羊毛生産の24%を占める世界最大の牧羊地でもある。最高級の織物・毛布用として、オーストラリア・メリノ(Merino)種の羊は特に有名で、貿易品としては世界の45%のシェアを占める。Victoria州では、フィロキセラ以後、葡萄産業は壊滅したが、羊産業の中心としての地位は残った。「すぐにキャッシュの得られる、とてもやりやすい仕事」といわれる羊の仕事があるかぎり、別にワインを作らなくても生きて行くことは難しくなさそうである。どうしてワイン造りをしているのか、という問いに彼はこう答える。「ワインという作物は他とは違う。自分たちの行っている畑仕事が、世界に広めることが出来る作物だからだ。」しかし、ヨーロッパに輸出を考えているか、というと、答えはノーだった。コストや生産量など、まだまだ解決しなくてはいけない問題があるのだろうか。

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John Nagorcka。「買い葡萄で作る生産者は馬鹿だ。自分で畑から育ててきちんと作ってはじめて自分のワインが生まれる」とは彼の弁。彼の手は、Bourgogneのヴィニョロンに似た手をしていた。

畑に案内して欲しいとせがんだが、他の生産地を回っている我々の靴にはフィロキセラがついている可能性があるというので、最初は断られた。しかし最後には、少し手前までなら良いと、折れてくれた。広い敷地内を、彼の四駆に載って移動する。畑の周りにいた羊たちの群れが我々を見て逃げ出した。7.5ha(Pinot Noir 4.5ha,Riesling 1.5ha,Cabernet Sauvignon 1ha, Shiraz 0.5ha)ある畑は、赤茶けたバサルト・ローム、火山岩土壌で、石ころが多く混じり、地中深くには粘土があるという。標高は250mで、北向き斜面に植えられている。すべての樹は台木なしで、植樹密度は1ha辺り、6000本。ギュイヨ剪定だが、リラ式剪定の場所もある。彼は1999年よりビオディナミを実践し、Demeterからも認証を受けている。世界で最も古い有機農法の国は、オーストラリアだと聞いたことがあるが、彼の祖父はオーストラリアで最も古い有機農法の畑を持っていたと言うので、そのパイオニアの一人だったのだろうと推測される。だから、防カビ剤ゼロ、防菌剤ゼロ、防殺虫剤ゼロ。さらに、Demeterは禁止していないが、「灌漑は葡萄の根を延ばさないから」という彼の信念によって、灌漑は行わない。収穫量は低く、一本の樹に対し、500g(葡萄の実、2-3房位)であるという。

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なんて美しい畑だろう、と素直に関心。この畑がいつまでもフィロキセラフリーであることを切に願いたい


ワインの試飲はまず、白ワインから始まった。

 Riesling ’12 は、レモン、オイル香の香る、典型的な味わい。酸味のキレ、清澄さ、潔い味わい。整っている。Alsaceの Ostertag(オステルターグ)を思わせるスタイル。「スクリューキャップはワインにダメな味わいを残す」から使用しないという。
 続く、Semillon, Sauvignon Blanc ’14 は、花の香り、ライチ。とてもフレッシュでピュア。スーっと抜けて行く、Sauvignonの酸。これほどアルコール低めな(10%)このブレンドワインは珍しい。
 赤ワインは、Tarrington village Pinot Noir ’11からで、アップルティー、赤果実、枯れ葉の香り高いもの。火山岩性の酸味。Pommardを思わせる優雅なワイン。Villageというネーミングがフランス的だ。
 さらに、Hochkirch Pinot Noir ’11を注がれた時に香るのはプラム。まさにプラムの香り。そこにアップルティーのヒント、柔らかく、繊細。口元に光るように残る。そして、この造り手の特徴としてある、クリーンさが良い。生産者の人柄が見える。神経質なまでにまっすぐな味だ。
 ヴィンテージ違いの、Hochkirch Pinot Noir ’12。 プラム、赤果実、桑の実。土っぽさ。スパイス。よりカチッとした酸。綺麗なプロポーション。石灰的なバランス、しかしあくまでもアロマはBourgogneではない。何か、ひと味違った、Pinot Noir の可能性、オリジナリティーある一本。
 もう余り残っていないという Tarrington village Pinot Noir ’10は出して頂けた。 とれたての生プラムの絞ったような香りが立ち上がり、フランボワーズの華やかさ。グッとまとまって、いわゆる、Chambolle-Musignyを垣間見せるのだが、その次に、違った個性が立ち上がる。今、とても美味しいワインだ。このような Pinot Noirが欲しかったと、思わせる、切ない想い。違う品種の赤ワインもあった。
 Syrah ’12は 丁字の激しいスパイス感と強くキツい味。少しズレのある味で、土壌に適しているとは思えなかった。
 Cabrnet Sauvignon ’10は、黒い濃い色調で、落ち葉、ベジタルの香り。少し角があって、鋭角。しかし同時に穏やかさも同居するワイン。

試飲を通じて、驚かされるのは、その品質の高さよりも、丹念に作られた印象が常に残る事。迷いなく、揺るぎない信念を彼のワインから強く感じ取れる。まさにヴィニョロンである。

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羊を畑に放牧した生産地が多い。羊に雑草を食べさせるので、もちろん、除草剤いらずである。ただし、葡萄の芽まで食べられないために剪定は高くする必要があるが…。

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基本的に除梗するが、年によっては全房発酵も行うという。発酵はすべて、自然酵母を使用。従業員は一人(プラス家族)。



 理想。
 世界中の葡萄生産地を旅して来ていると、いつも、どこの生産者も同じような葛藤と願望を持っていることを知る。たとえ今の現状に満足していないとしても、自分たちに資本と機会があれば、こうなりたい、こうありたい、と願っている理想的なワイナリー像というのがある。潤沢な資産、隔離された土地、そして、需要の高さ。はては、最新設備、人力、より土地に合った品種。
 Hochkircheは、そんな理想的な環境をすべて手に入れたようなワイナリーである。羊毛産業という資産。深い試行錯誤による、正しい品種と植樹法の選択。いたずらに大地を傷つけない、有機的アプローチの的確さ。そして素直で丁寧な仕事。これらが、ワインの味わいに生きている。もっと言うと、ワインの味わいが、土地らしい個性をもって表現されている。地道な仕事がワインの味わいに宿っている。少なくとも、彼のワイン造りには、迷いは見えない。はっきり言って、ワイン造りの道として完成されている。完璧なワイン?
 否、それでも Johnの夢がここで止まっているようには思えない。
 たとえ彼のワインが素晴らしくても、自国内でしか知られないワインという位置づけなのである。スイスの優良ワインと立ち位置が似ている。良いワインだけれども、生産量に限りがあるから、輸出できない。自国に顧客がついているから、輸出しない方が儲かる...。しかし、Johnは「羊産業では、自分たちのテロワールを世界には示せない」と私に言った。彼に願望がない、というわけではない。John Nagorckaの挑戦は続いているのである。




総括


 今からおよそ、1億5000万年前のジュラ紀にゴンドワナ大陸から分断したオーストラリア大陸は、地球上で最も古い地層が表出する大陸である。最も古いゆえに、風や水、氷の浸食作用によって山々の斜面はなだらかで外形は丸みを帯びる。その結果として、この大陸の大地は非常に平坦であり、起伏が少なくなった。平坦な大地は、どうしても雨の降る量が減ってしまう。だからこの国全体の年間降雨量は約400mmに過ぎず、内陸部の大部分は Outback(アウトバック)と呼ばれる平原と砂漠が広がり、国民の住める場所は大陸の沿岸に限られているのである。しかし、全く雨が降らないというのではない。そのほとんどは東部の Great Dividing Ranges(グレートディバイディング山脈)に降る。この山脈からそそぐMurray(マレー)河・Darling(ダーリング)河の間こそが、貴重な水源なのであった。Great Dividing Ranges寄りの 標高の高い生産地が New South Wales州と, Victoria州であること、Darling河が New South Wales州の生産地、Murray河が New South Wales州と Victoria州の州境であり、South Australia州に流れる地勢であることを鑑みると、オーストラリア・ワインが如何に降雨量に影響されているのかが計り知れる。
 巧みな灌漑技術を開発してきた、乾燥した国、オーストラリア。ある程度の設備投資がなければ、ビジネスとしてなりたたないワイン産業国。だからこそ、この国のワインは長く、大企業主体の巨大ワイナリーのみが残った。Mis en Bouteille à la propriété (自社瓶詰め)よりも、Co-opérative(協同組合)もしくは Négocien(ネゴシアン)。だから、誤解が生まれ易いのだ。 この国の多様性(Diversité)が見えにくい。

           348px-Murray-catchment-map_MJC02.png
       https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Murray-catchment-map_MJC02.png?uselang=ja

 しかし時代は変わって来たのだろうか。大陸を離れては見えない隠されたエネルギーが満ち満ちと溢れていると感じた。新しい世代のワイナリーが生まれつつあるのだ。ここ十数年の決定的な変化は畑仕事の大切さを理解する、優秀な若手生産者が増加してきたことである。彼らは小規模で、沢山の畑を持っているわけでも、立派な設備を持っているわけではないが、各々のフィロソフィーを柱に、土地の味わいを表現した素晴らしいワインを生み出している。新しい品種、新しい栽培方法、新しい醸造方法。旧世界にはない、亜硫酸を使わないワインの生産法...etc。一昔前の Champagneの NM(ネゴシアン・マニピュラン)主導の時代から、小規模の RM(レコルタン・マニピュラン)の評価があがってきているのに似ている。

 地産地消のものが素晴らしいというのはわかっているつもりだ。福岡正信は「自給自足こそが最も人らしい生き方」と言った。しかしながら、人間と言うものは、旅先で得た素晴らしいものを自分の国へと持ち帰りたいと言う願望にかられる生き物だ。イタリア・プーリア州のブラータ・チーズをパリでもフレッシュな味わいであると望む事も、パリのラデュレのマカロンが日本でも同じように食べられると望むことも、銀座の寿司がイタリアで同じように新鮮であることを望むことも、それはとても難しいことを我々は知っている。届けられない想いは、存在しないのと同じ事なのだ。どれだけ、今、オーストラリアで素晴らしいワインが生まれつつあっても、我々のいる場所にそれが届かなければ、大した意味はない。今回取材した、大抵のワインメーカーのワインは、未だフランスは勿論、日本にも未輸入・輸入中止のものが大半である。輸出したくとも、国内のシェアを維持するので精一杯だし、量を作って質を下げることを厭う生産者ばかりである。只でさえ、枠の少ない一つの国のワインが、大手ワインメーカーによって独占されている。大手の行っている大量生産・品質均等化・教条主義指向なオーストラリアのワイン造りが一般化してしまって、他国の人間にはオーストラリアには有機農法で作ったワインの存在があるなどと、知らされるべくもない。オーガニック農業生産国という点でみればダントツで世界一であっても、ワインは別物である。なるほど、「最大多数の最大幸福」という信義を貫くならば、それで良いのかもしれない。しかしながら、真のテロワールを表現している、オーストラリアの自然なテロワールの味わいをもっと多くの世界に伝えたい。これは小さな一歩であるかもしれない。しかしながら、私は今、本国オーストラリアでささやかなブームとなって知られつつある、オーストラリアの新しいワインの潮流が、世界に広まっていくことを切に願う。
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[ 2016/03/15 04:54 ] 産地 | TB(0) | CM(0)



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